ザイデルの5収差(ザイデルのごしゅうさ、英語: Seidel aberrations)は、光学系において単色光で発生する主要な5種類の収差の総称です。19世紀にドイツの数学者ルートヴィヒ・フォン・ザイデルによって体系化されました。理想的な光学系では、一点から出た光はレンズを通過した後、一点に正確に集光し、その結果、像は元の物体の形状を完璧に再現します。しかし、実際のレンズでは、光の性質やレンズの幾何学的形状の限界により、光が完全に一点に集まらなかったり、像の形状が歪んだりする現象が発生します。これが収差です。
ザイデルの5収差は、低次の単色収差として光学設計において特に重要視され、光学系の性能評価やレンズ設計の基礎となる概念です。
収差の基本的な考え方
収差とは、光学系が理想的な像を結べないことによって生じる、像のぼけ、歪み、にじみなどの現象を指します。その原因はさまざまですが、主に以下の要因が挙げられます。
- 光の性質: 光は波長によって屈折率が異なるため(分散)、色によって光の曲がる角度が微妙に変わり、像のずれが生じます(色収差)。ザイデルの5収差は単色光における収差のため、この色収差は含まれません。
- レンズの形状: レンズの表面が球面であることや、光がレンズのどの部分を通過するかによって、光の集まり方が変わります。
- レンズの素材: レンズに使われるガラスなどの素材の光学特性も、収差に影響を与えます。
これらの要因が複合的に作用し、さまざまな種類の収差が発生します。ザイデルの5収差は、特に代表的なものを分類したものです。
ザイデルの5収差の個別解説
ザイデルの5収差は、それぞれ異なる形で像の質に影響を与えます。
1. 球面収差 (Spherical Aberration)
球面収差は、光学系の光軸上の点光源から発した光線が、レンズの光軸からの高さ(入射点)によって焦点位置が異なるために生じる収差です。一般的に、球面レンズでは、レンズの中心部を通過する光線よりも周辺部を通過する光線の方が、より光軸に近い位置(短い焦点距離)に集まります。
- 影響: 像全体が不明瞭になり、特に点光源を写すと、一点に集まらずに同心円状の光の輪のように広がる現象が見られます。レンズを絞り開放(F値が小さい状態)で使用する際に顕著になります。
- 原因: レンズ表面が球面であることに起因する、レンズの各部分における光線屈折率の差が原因です。
- 補正: 非球面レンズを使用することで、レンズ面における光線の屈折を適切に制御し、球面収差を補正することが可能になります。
2. コマ収差 (Coma Aberration)
コマ収差は、光軸から外れた位置にある点光源から発した光線が、レンズを通過した後、一点に集まらずに彗星の尾のような、あるいは鳥の羽のような形状の像を結ぶ収差です。この名称は、その像が彗星(Comet)に似ていることに由来します。
- 影響: 像面上の点像が、光軸から離れるにつれて、放射状に引き伸ばされた尾を引くような形状に変形し、シャープさを失います。特に、斜め方向からレンズに入射する光に影響を受けやすいです。
- 原因: 光軸外の点光源からの光線が、レンズの異なる領域を通過する際に、それぞれ異なる倍率で像を結んでしまうためです。レンズの球面形状と、光線の斜め入射が組み合わさって発生します。
- 補正: レンズの複数枚構成や、非球面レンズの導入によって補正されることが多いです。広角レンズや明るいレンズで顕著になりやすい収差です。
3. 非点収差 (Astigmatism)
非点収差も、光軸から外れた位置にある点光源から発した光線が、像面において一点に集まらず、互いに直交する2つの異なる焦線(焦点が線状になる)を形成する収差です。
- 影響: 像面上の点像が、中心から離れるほど線状に伸びて写ります。例えば、格子の像を撮ると、縦線はシャープなのに横線はぼやける、あるいはその逆の現象が生じることがあります。
- 原因: 光軸外の光線がレンズを斜めに通過する際、レンズの垂直方向と水平方向で異なる曲率を持って見えてしまい、焦点位置がずれるためです。
- 補正: 複数枚のレンズを組み合わせた複雑な光学設計により補正されます。人間の目における「乱視」も非点収差の一種です。
4. 像面湾曲 (Field Curvature)
像面湾曲は、その名の通り、光学系によって形成される像面が、理想的な平面ではなく、湾曲した形状となる収差です。平坦な物体を撮影した際に、像が平坦な像面(フィルムやデジタルセンサー)に結ばれず、お椀のように曲がった面に結像してしまう現象です。
- 影響: 像の中央にピントを合わせると周辺がぼやけ、逆に周辺にピントを合わせると中央がぼやけるなど、平坦な被写体全体に同時にシャープなピントを合わせることが難しくなります。
- 原因: レンズの基本的な光学特性により、物体からの距離とレンズから像までの距離の関係が、レンズの中心と周辺で微妙に異なるためです。単レンズ(一枚のレンズ)で特に顕著に現れやすい性質です。
- 補正: 複数のレンズを組み合わせることで、像面が平坦になるように設計されます。特に広角レンズで顕著になりやすい収差です。
5. 歪曲収差 (Distortion)
歪曲収差は、像の幾何学的な形状が歪んでしまう収差です。他の収差が像のシャープさやぼけに影響するのに対し、歪曲収差は像の変形に直接関わります。直線が直線として写らず、曲がって写る現象として現れます。
- 影響:
- 樽型歪曲(たるがたわいきょく、Barrel Distortion): 画面の中心から離れるほど、像が外側に膨らんで写ります。広角レンズでよく見られます。
- 糸巻き型歪曲(いとまきがたわいきょく、Pincushion Distortion): 画面の中心から離れるほど、像が内側にへこんで写ります。望遠レンズでよく見られます。
- 原因: レンズの光軸からの距離によって、倍率が不均一になるためです。つまり、レンズの中心部分と周辺部分で、物体を拡大する割合が異なるために像が歪んでしまいます。
- 補正: レンズの設計によって大きく異なりますが、最近のデジタルカメラやスマートフォンでは、レンズ設計による補正に加え、ソフトウェアによる画像処理で補正されることも多いです。
収差補正と現代光学
ザイデルの5収差は、レンズ設計の初期段階で考慮される最も基本的な収差です。現代の光学系では、これらの収差を最小限に抑えるために、以下のようなさまざまな技術が用いられています。
- 複数枚レンズ構成: 複数のレンズを組み合わせることで、各レンズが持つ収差を互いに打ち消し合うように設計します。
- 非球面レンズ: レンズの表面を球ではない複雑な曲面とすることで、球面収差やコマ収差などを効果的に補正します。
- 特殊光学ガラス: 低分散ガラスや高屈折率ガラスなど、特定の光学特性を持つ素材を使用することで、色収差を含むさまざまな収差を抑制します。
- フローティング機構: フォーカスによってレンズ群の間隔を変化させることで、撮影距離に応じた収差変動を低減します。
- デジタル補正: デジタルカメラや画像処理ソフトウェアにおいて、撮影後に収差をソフトウェア的に補正します。特に歪曲収差や色収差の補正に広く用いられます。
これらの技術により、現代のレンズは高度に収差補正されており、高精度な画像を得ることが可能となっています。ザイデルの5収差の理解は、光学系がどのように設計され、その性能がどのように評価されるかを知る上で不可欠です。